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滞在記 2022.11.28 Update

林業のシゴトを現場取材。山の過去と未来の間に「現在」という橋を架ける造林作業の様子に迫る。

浦幌町は太平洋と山脈に囲まれた自然豊かな町。
天然資源を生かし、漁業や農業をはじめとする第一次産業が町の基幹産業となっている。

第一次産業の中でも長年にわたって町を支えてきた存在は林業だ。
特に、木炭や材木の製造・販売は約100年前から行われていたという。

そんな浦幌町で約90年間操業している老舗の林業会社こそ、今回取材に伺った北村林業株式会社。
現在、4代目の北村昌俊さんが社長を務めている。

早朝の様子

朝が肌寒くなりはじめた9月下旬。現場作業に同行するため、朝6時に町内の事務所へ到着。
北村社長に挨拶を済ませ、朝のラジオ体操に参加する。
CDラジカセから聞こえてくるピアノの音楽から、どこか懐かしさを感じる。

朝の集合時の様子。多くの人は車で出勤する。

ラジオ体操後には現場の打ち合わせが行われる。

「今日の現場はここだよ」

一枚の地図を片手に、穏やかな声で私たちにお話しをしてくださった方は、造林部責任者の柳田康一朗さん。

柳田さんは約12年前、就労体験を通じて北村林業株式会社へ入社。愛知県出身であることから、浦幌町への移住者でもある。
浦幌町には、移住前にバイク旅で2度訪れていたそう。

日頃現場へ向かう際は、地図を印刷せずに向かうという。
しかし、当日は私たちに地図を提示しながらわかりやすく、当日の作業である「造林」について教えてくださった。
朝の忙しい時間ではあったが、柳田さんの親しみやすい人柄が伝わってきた瞬間であった。
打ち合わせ後は柳田さんの車に先導していただきながら、浦幌町北部の現場へ移動開始。
町内の事務所からおよそ30分ほどの場所に位置する町有林まで移動した。

道なき道を進み、現場へ。

現場の入り口へは軽自動車では入れないため、社用車に乗せていただく。林道を登った先にあったものは、広大な空き地。周囲には山々と田畑が広がっており、遠くからはチェーンソーの音が聞こえてくる。
ここで長靴に履き替え、いざ現場へ。入り口のフェンスを開け、道なき道を進んでいく。
造林部の方の足取りは、私よりも軽く感じられた。
チェーンソーや資材を持って厳しい斜面を進んでいくその背中は、頼もしく、また格好良く見える。

「火入れ地拵え」

当日の現場で行われていた作業は「火入れ地拵え」。林業では「造林」という作業の一部に該当する作業だ。

「造林」とは、数十年後に木材となる木々を育てていく作業全体を指す。別名、「育林」とも呼ばれることもある。
「地拵え」は「造林」の中でも山の木々を伐採した後に残った枝葉などを除去し、新しい苗木を植えるために土地を整える作業。
造林の過程では初期段階にあたる。
「火入れ地拵え」の特徴は、その名の通り伐採後に残った枝葉を火に入れて、燃やすことにある。

灯油を塗ったおがくずを枝葉の塊の中に入れて、着火することで枝葉が燃える。

柳田さんから作業の流れを伺う中で、予想外の事実を知る。

「火入れ地拵えは、いまほとんど行われていないんだよ。北海道庁などの規制もあってね。いま行われているのは浦幌町と、熊本県、鹿児島県くらいかな。」

現場では燃え盛る枝葉の塊が6〜7箇所あった。

「山火事と間違えられてしまうこともあるんですか?」と尋ねると、柳田さんは「たまにあるよ」と少し笑みを浮かべながら教えてくれた。

消防に連絡が入った際は、北村林業の方が現場に向かって状況確認をするそう。
柳田さんは火柱をみながら、奥深い知識を語る。

「よく見ると青い煙と黄色い煙があるでしょ。高い温度になるほど青い煙になるんだよね。」

柳田さんは10年以上林業の仕事に携わっている。煙の色を見分けることができるまでには、7年から8年かかるのではないかと話す。
まさに、ベテランならではの見分け方だ。

1本ずつの木に秘められたものとは。

現場を見学している途中、雨が降りはじめた。当日の雨はまだ作業できるほどの雨脚。柳田さんをはじめ、造林部の方々は木枝やトドマツの葉を手に取っては、火の中に投げ入れていく。

作業開始から1時間ほど経過したところで、柳田さんが休憩の合図となるホイッスルを吹いた。
作業をやめて水を飲む人、黙々と作業する人、仲間と談笑する人。それぞれの時間が過ぎていく。

「寒いから火の近くで話そう。」

柳田さんからの気遣いもあり、燃え盛る木々の側で北村林業へ入社した経緯や過去の生活のこと、林業のことなどさまざまな話を交わした。
その中でも、特に林業の話には花が咲く。

柳田さんは林業の現場に長く携わる中で、山に立つ木々から感じたことを伝えてくれた。

「成長して出荷できる木もあれば、枯れてしまう木もある。人は権利を争っているけど、木は日光を争っているんだよね。」

山は、遠くから見ると木の塊にみえる。しかし、山に生えている木1本1本にはそれぞれの物語があると柳田さんは話す。
いま、周囲の山に植えられている木々はどのような生を送っているのだろうか。探究してみたくなるテーマだ。

先人たちの努力や知恵を、現在という架け橋を通じて未来へ受け継ぐ。

さらに柳田さんは、現場下にある畑をみながら、先人が発見した工夫を語った。

「木の枝を斜面の上から投げ入れているのは重力を使ってるからなんだよね。逆に畑のような平地だと作業がしづらいんだよ。」

何世紀にもわたって行われてきた「地拵え」。その工夫は現代でも変化することなく受け継がれている。
作業に関する知恵や工夫は、林業に携わってきた先人たちから受け継がれている「共有財産」といえるだろう。

しかし、受け継がれた共有財産は知恵や工夫だけではない。
柳田さんが「山は人工的なものなんだよね。」と話す通り、山に立つ木々は先人たちから受け継がれてきたものだ。

山は人が木を植えたあと、人が伐採する…という循環を繰り返している。つまり、林業という仕事全体が将来木を伐採し、再び造林することに繋がっているのだ。

特に造林という仕事は、すぐに結果が見える仕事ではない。
私は、遠い未来を生きる人々へ向けた仕事なのだと実感した。この山が未来へ至る過程の一部始終に、私たちは立ち会っている。
この山で次伐採が行われている時は、誰が木を伐採するのだろう。もしかしたら、機械かもしれない。
柳田さんのお話から深く学び、ふと未来を考える時間があった。

降りはじめた雨は止むことなく、髪が絞れるほどの強さにまでなっていた。
そろそろ撤収して帰ろうという話になり、11時ごろ現場を後にする。
その判断は柳田さんが下したが、事務所に戻った後帰宅するか、別の作業をするかといったことは若手に任せる時があると柳田さんは話す。
その理由は、「僕が1から命令するのではなく、彼らの自主性に託したい。」と若手に期待の意を込めたメッセージであった。

浦幌町内の事務所まで、再び30分の道のりをかけて戻っていく。
事務所では北村社長と造材部の方に話を伺う予定だ。
林業に関してさらにどんなお話が聞けるのか、とても楽しみにしながら町内へ戻った。

編集後記

ことの始まりは2022年3月。雪が多く積もる札幌市内でのできごと。

「新谷さん、ドット道東って知っていますか?」

知り合いの方の一つの問いから、「ドット道東」や「つつうらうら」の取り組みを知りました。
ドット道東のメールマガジンに登録をするとき、「求人記事を書いてみたいです。」と、おぼろげながら書いたことは、今でも覚えています。
その後時間をかけてさまざまなご縁が繋がり、6月に初めて浦幌町を訪れました。
当時はちょうどライターとしての活動を始めていた時期でもあったため、本件のお話をいただき9月の取材に至りました。

取材に行くのであれば、第一次産業の現場に行きたいと直感で思いました。
私が住んでいる場所は東京都。第一次産業とは、あまり縁のない地域です。
対する北海道・十勝は食料自給率が1000%を超える地域。見渡す限り広がる田畑と青空は、「まさに北海道」という景色を連想させます。

日本一のスケールといっても過言ではない、十勝の第一次産業の現場を、外側からではなく内側から見たい。
内側に入ることで生産者や従業員の方とお会いし、どのような方法や想いで仕事をしてるのか…話を聞いて学びたいと考えました。

そして、私が見聞きしたことを取材者の方とともに発信することによって
誰かにとっての新しい発見や学びになったり、些細なことでも「一歩踏み出してみよう」と心に火が灯るきっかけになれば嬉しい。
そのような想いを込めて、取材と執筆を行いました。

少しでも、発見や気づきがあれば幸いです。
そして、道東で「やりたい」と思っていたことが半年で1つ実現しました。
取材をお引き受けくださった企業のみなさま、日程調整や編集作業にご協力いただいたみなさまにこの場をお借りし、感謝を申し上げます。

この記事を書いた人

この記事を書いた人新谷有希

新谷有希

人の話を聞いて、新たな学びを得ることが好き。いまのマイプロジェクトは「興味のあることを掛け合わせながら、道東・道北としなやかにつながる」こと。地域に根ざした取材ライターとしての活動は、どう続けられるのか。デンマークにある人生の学校「フォルケホイスコーレ」を日本でどう広げていくのか、色んな人たちと探究中。

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