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働く人 2023.12.20 Update

【代表インタビュー】宮本建設 宮本和徳さん

浦幌町で活動する事業者の代表にお話を伺う「代表インタビュー」シリーズ。ご自身が抱える思いや、今に至るまでのお話、目指す未来について伺っていきます。今回は、宮本建設有限会社の代表 宮本和徳さんです。

今日はよろしくお願いします。ご自身の経歴からお仕事のお話まで色々お伺いできればと思います。

俺なんかそんなに大した考えもないから、話せることあるかなぁ(笑)。

家業を継ぐつもりは全くなかった。浦幌に帰ってきたのも軽い思いだよ

まずは簡単に経歴を教えていただけますか?宮本さんは生まれも育ちも浦幌なんですか?

そうだね。10年ぐらい札内で修行してた時期があるからその時期は浦幌から離れていたんだけど、それ以外はずっと浦幌。自分が離れてた10年の間で建設会社も結構減っちゃったね。その無くなっちゃった建設会社で働いてた大工さんを、うちで雇用したりもしているんだよ。

浦幌を出るまでの幼少期のお話を少し聞かせてください

出身高校は、浦幌高校。学生時代は遊びに行くようなところもあんまりなかったから、俺の部屋が溜まり場。学校が終わると6畳の部屋に15人とか人が集まったりして(笑)。

6畳の部屋に15人!

そこから高校卒業して、仲良い友達何人かで自衛隊を受験したんだけど皆んな落ちちゃって(笑)。実家は当時から宮本建設だったけど、当時は継ぎたい気持ちなんて全然なかった。だから進学しようと思って。

けれど、進学したのは職業訓練校だったんですよね。継ぎたい気持ちはなかったけれど、ものづくりなどには興味があったんでしょうか?

そうだね。小さい頃から勉強は嫌いで成績は悪かったけど、絵を描いたり何か作ったりするのは好きだった。だからそう考えると、今の仕事についたのも必然といえば必然かもね。

学校を卒業してからは?

まだ実家には戻りたくなくて、とりあえず幕別町の建設会社に就職した。

その会社では大工をやってたんだけど、そこでは建物の骨組みを建てる大工と、建物の内装を作る大工のどちらもやってて。普通は分業で建物を建てる人と中身を作る人は別々だから、大変ではあったけど、建物を建てる一連の流れも知れて、勉強になったね。

実家を継ぎたくなくて浦幌を出た宮本さんが、実家に戻ってきた理由はどうしてなんでしょうか?

戻ってこようと思い始めたのは、働き始めて9年目ぐらいかな。けど理由は家業を継ぐとかそんな大したことじゃなくて、結婚したから実家や生まれ育った土地の方が色々便利かなってぐらい。それまでは全然帰って来る気もなかったね。

宮本建設の仕事

宮本建設さんの現在のお仕事の内容を簡単に教えていただけますか?

メインは新築の住宅を建てること。けど新築は年々減ってきてるからリフォームをやったり、農家さんのちょっとした鉄骨の建物をつくったり色々やってるね。

新築とリフォームでは、同じ建築とはいえ仕事の内容に違いはあるんでしょうか?

いや、基本的には同じだね。家の構造がわかっていればやることはそんなに変わらない。けど、リフォームだと見積もりが難しいかな。いざ見積もり出しても、リフォームの途中で壁を剥がしたら柱が腐ってました、とかがあると見積もりよりも費用がかかっちゃうし。ある程度こちらで予想するようにはするけど、お客さんには予定より多くお金をいただきたくない気持ちがあるだけに難しいね。

宮本さんの1日のスケジュールを教えていただけますか?

忙しかったら現場にも出るんだけど、基本的に俺は現場に出ないようにしてる。朝、7時前に大工たちが集まってくるから、指示を出したり、世間話をしたりして現場を任せてからは、事務所に帰ってきてデスクワークをしたり、打ち合わせをしたりで1日が終わる感じかな。ほんとは現場に立ちたいけれど、お客さんの対応とか打ち合わせとかその都度対応しなくちゃいけないから。なかなかそういうわけにもいかないね。

最近、新しく社員さんがお二人入られたとお聞きしました。差し支えなければ、そのお二人について少しお伺いしてもいいですか?

1人は30代の女性の方。未経験だったから俺に付いてもらって現場に行ったり、今は別の大工さんに付いてもらって色々教わりながらやってる感じかな。もう1人は40代の男性だけど、この人は経験者だからずっと一緒についたりとかはせずにひとりでやってもらってる。

それぞれの人に応じた働き方をしてらっしゃるんですね。新入社員の方たちとは呑みに行ったりとかすることもあるんですか?

基本的には呑み会とかは滅多にやらないね。ほぼ毎日仕事で会ってるから、プライベートでまで会ったらお互い疲れちゃうと思うしね。

ただ、町内の別の建設会社の代表さんがうちの新入社員を気遣ってご飯に連れてってもらったりとかはたまにあるね。この間もうちの若いのがご馳走してもらってきたみたい(笑)。

街全体で若者を応援する姿勢があるのは嬉しいですね。

宮本さんがこの仕事をやっていて好きな瞬間はいつですか?

ありきたりな答えになっちゃうけど、お客さんが喜んでくれること。あとはイメージ通りに建物が完成した時。ここで言うイメージってのは、僕らというよりお客さんのイメージであることが多いね。たとえこっちで考えたものでなくても、お客さんが満足してくれればそれで良いから。

逆に大変な瞬間は?

これも実はお客さんの反応かもね。僕らが作ったものに対して、お客さんからクレームが入ったり、満足していただけない時は気持ちも沈んじゃうから。

あとは、超具体的なんだけど雨漏りの修繕はやりたくないね(笑)。あれすっごい大変なんだよ。

大工を募集中の宮本建設

最後に宮本建設で働くにあたって、こんな人に働いてほしい。こんな人が合ってると思うことがあれば教えてください。

これは働くとかそれ以前の問題かもしれないけど、嘘をつかないこと。余所者だったり、歳が離れていても「あ、この人嘘ついてない」っていうのって何となくわかるでしょ?そういう人は仕事してても信用できるし、当たり前のことといえば当たり前だけど、大事だね。

あとは、これも人としての部分になるけど、気の利く人、お節介な人。うちに1人、長く働いてて正にそう言う人がいるんだけど、うちで働いてる人の中には少し面倒に思ってる人もいるかもしれない。って言うのも「これこうした方がいいんじゃない?」「これもっとこうしようよ」ってすごく気が回る。たまに自分の現場じゃないところにも口出ししたりしてて笑。けど、仕事をしている上ですごくありがたい存在だし、時にお節介なくらいな人の方がこの仕事はあってるかも知れないね。

特別なスキルや能力を求めているのではない。人としてどうあるかという部分ですね。今日はたくさんお話を聞かせていただきありがとうございました。

最後に

取材中も、何回も電話対応をしながらそれでも気さくに取材に応じてくれた宮本さん。その電話の中には、社員の方からの欠勤の電話に対して「具合悪かったら、何か買って行くから何でもいってや」と言うほどの寛大さ。

街の人たちからビッグさんという愛称で慕われる理由には、お節介とも言えるほど気の優しい宮本さんの性格があるのかも知れません。

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この記事を書いた人

この記事を書いた人長崎航平

長崎航平

2001年生まれ、長野県上田市出身。
旅の途中で行き着いた浦幌町にひょんなことから1ヶ月ほど滞在。
柴犬とエビチリが好き。

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