地元に残る、という選択。その先で農業とまちに関わり続ける
浦幌町で生まれ育ち、現在は農業を軸にしながら、スポーツ・まちづくり・次世代育成など幅広い分野で活動している山田史弥さん。これまで「暮らす人」では移住者の方を多く紹介してきましたが、今回は“地元出身者”として浦幌に暮らし続ける山田さんにお話を伺いました。
地元に残ることをどう捉え、どんな思いで農業やまちと関わっているのか。山田さんの日常と言葉から、浦幌で暮らす一つのリアルなかたちが見えてきました。

山田史弥さんプロフィール:浦幌町生まれ。釧路の高校、東京の大学に進学後、Uターンで実家に就農。朝日地区で約70年続く3代目の農家。2021年に法人化。株式会社アサヒアグリアクション代表。
「名物親父」がいた風景と、地域に育てられた記憶
――子どもの頃に感じていた浦幌と、今とで違うところはありますか?
「昔でいう“名物親父”が、実は自分の親父だったんです。当時はそれがすごく嫌で(笑)。でも今振り返ると、ああいう存在って本当に貴重だったなって思います」
新養老地区で育った山田さん。悪いことをすれば誰であっても本気で叱られる。歩いていれば、顔のわからない大人はいない。そんな環境が子ども心に大きな安心感を与えていました。
「今、自分が親になって思うのは、他人の子どもを本気で叱るって実はすごく難しいことなんだなって。幼少期の環境はある意味特殊だったのかもしれないけど、良いことと悪いことを自然と学べた場所でした」
地域全員参加型の運動会や、みんなで食べたお弁当。当時は“普通”だった光景が、今ではかけがえのない思い出として心に残っています。
外の世界を見て、それでも戻ってきた場所
――高校は釧路、大学は東京だったそうですね。浦幌に戻ってきた理由は?
「じいちゃんに小さい頃から“お前はいずれ継ぐんだぞ”って言われ続けていて。洗脳みたいなものですよね(笑)。でも、なんとなく自分はそうなるんだろうなって思っていました」
一度は浦幌を離れ、大学では中高の教員免許を取得。教職の道も考えていましたが、卒業を控えた頃、父から「帰ってこい」と声をかけられました。
「高校も大学もスピードスケートも、やりたいことは全部やらせてもらっていたので、NOとは言えなかったですね」
東京での暮らしについては「正直、向いていなかった」と振り返ります。
人の多さ・食の値段・食材の味。学生時代はお金もなく、都会の良さを実感する余裕もありませんでした。
「今でも、住むなら断然こっち。浦幌の生活の方が、自分には合っているなって思います」

「仕事は面白くない」からこそ、楽しむ
幼い頃から農作業を手伝うのは、山田さんにとってごく自然な日常でした。その中で今も心に残っているのが、お母さんの言葉です。
「“仕事は面白くないものなんだ。だから楽しまなきゃいけない”って」
単純作業の繰り返しが多い農作業。小学生の頃は1〜2時間ほどの手伝いでしたが、その時間をどう過ごすか自分なりに工夫していたと言います。
「土を投げてみたり、歌を歌ったり(笑)。仕事と暮らしがすごく近かったんだと思います」
この感覚は今も変わらず、農業を“生活の延長”として捉える山田さんの姿勢につながっています。
規模拡大の先に考えた、続けていくための農業
平成30年に弟さんが浦幌に戻り、家族で農業に向き合う体制に。その後、令和2年にお父さんが他界。山田さんが代表を引き継ぎ、翌年には法人化を行いました。
畑の面積は65haから120haへ。最も大変だった時期を、山田さんは「山場だった」と振り返ります。
「面積は倍。弟と交代で、ほぼ寝ずに機械を動かしていました。この働き方は続かないなって」
今後の離農を見据え、規模拡大は避けられない。その現実と向き合いながら、設備投資や体制づくりを進め、持続可能な農業へと舵を切ってきました。
「地域の先輩たちが“そのまま動け”って背中を押してくれたのも大きかったです」
農業の外に出ることで広がる視野
スポーツ推進委員、まちづくり審議会、スケート少年団の指導、PTA、農業インターン「アグリダイブ」の受け入れなど、山田さんの活動は多岐にわたります。
「声をかけてもらえるうちは、そのご縁を繋ぎたいなって。地域に返せるものがあるなら、と思って始めました」
活動を重ねる中で、農業以外の世界に触れることが自分自身の刺激にもなっていると感じています。
「農家以外のことをやっている時間って、視野が広がるんですよね。それが結果的に農業にも返ってきている気がします」

「おもてなし」ではなく、「仲間」として
アグリダイブをきっかけに浦幌を訪れ、その後も何度も足を運ぶ学生が多い理由を尋ねると、山田さんはこう答えます。
「忙しくても、頼まれたことだから喜んで受け入れる。それだけですね。あとは…自分も弟も暑苦しいから(笑)。学生の熱量と合うのかもしれない」
特別なことはしない。ただ、仲間として接する。その姿勢が、自然と人を惹きつけているように感じます。

楽しそうに生きる大人の姿を、次の世代へ
「自分の持っているものを、持て余したまま死にたくないんです」
ff工房としてお祭りに出店する理由も、その思いから。
「出店する人がいなくなったら、お祭り自体がなくなってしまう。作る側が楽しんでいる姿を見せたいんです」
楽しく生きる大人の姿が、まちの未来をつくっていく。山田さんはそう信じています。

つつうらうらを読んでいる方へ
「浦幌の人は優しくて肯定的な人が多いと思います。まずは体験からでいいので、来てほしいですね」
太陽の時間に合わせて働く、人間らしい暮らし。自然の前で感じる自分の小ささと“お陰様”の気持ち。
「それを五感全部で感じられるのが、農業であり、浦幌での暮らしだと思います」
地元に根を張りながら外へも開いていく。山田史弥さんの歩みは、これからも浦幌の日常の中に続いていきます。
※山田史弥さんについてもっと知りたい方は、気まぐれで更新しているnoteもぜひご覧ください!!
山田史弥l十勝農家|note