【20代移住者】元浦幌町地域おこし協力隊の犬養竣さんに聞く、浦幌町のこと
今回は、元浦幌町地域おこし協力隊で、現在は上浦幌学園で教員をされている犬養竣さんにインタビュー!
子どもたちから「イヌピー」という愛称で呼ばれ、任期中はうらほろスタイルのコーディネーターとして活動されていました。
そんな犬養さんにとっての浦幌町地域おこし協力隊や、任期終了後の浦幌町での生活についてお話を聞きました。

―― まずは、浦幌町地域おこし協力隊との出会いを教えてください。
僕、北海道教育大学の釧路校出身なんです。当時所属していた研究室が、浦幌町をフィールドにしていて、「うらほろスタイル教育」を勉強していました。なので授業で浦幌に来る機会があったんですよね。
大学の先輩にも浦幌で協力隊をやっている人が何人かいたので、「浦幌町地域おこし協力隊」という存在はもともと身近に感じていました。
―― 「うらほろスタイル」にはもともと関心があったんですか?
実は、大学入学当初は英語の先生になりたいなと思っていたんです。だけど、ただ教科としての勉強を教えたいというよりは、子どもたちそれぞれが持つ力を伸ばしたり、自分の人生を豊かにするための力を育てる先生になりたいなと。
それなら教科の勉強に特化するより、そういうものを学べる研究室に入りたいなと思って選んだので、うらほろスタイルについて学びたいという気持ちは最初から強かったですね。

―― 学生として実際に浦幌に来てみてどうでしたか?
僕が研究室に入ったのがちょうどコロナ禍の真っ最中だったので、実際に浦幌に来られたのは大学3年生になってからでした。
通常のカリキュラムなら、民泊で農家さんや漁師さんのお家に泊めてもらったり、浦幌バスツアーをしたりと、地域の人と密にコミュニケーションを取れる授業がたくさんあったんです。それらが全部なくなって座学ばっかりになっちゃって……。
大学3年生でようやく浦幌に来られて、地域の人たちと喋った時は嬉しかったですね。「もっと浦幌と関わりたい」という思いが強くなって、4年生の時には「うらほろスタイルサポート」でのインターンを決めました。1ヶ月半ほど、うらほろスタイルのコーディネーターの仕事を経験させてもらいました。
―― キャリアとしての協力隊って、犬養さんにとって自然な選択でしたか?
最初から協力隊になろうと考えていたわけではないんです。決めたのも大学4年生になってからでした。
大学で勉強したり、うらほろスタイルと関わる中で、数学や国語と同じように、「ふるさと学習」とか「総合の授業」の専科教員みたいな形で総合を教える先生が学校にいてもいいんじゃないかと考えるようになったんですよね。それで、地元の白糠町の教育委員会の方に相談してみたんですけど、「急には難しいよね……」という反応で。実現させたいと思いつつも、大学を卒業してすぐに形にすることの厳しさも感じていました。
もっと勉強して、自分がやりたい教育の形の実現に向けて準備を進めたい。そう考えている中で、うらほろスタイルのコーディネーターなら働きながら勉強できるかなと思ったんです。コーディネーターの仕事そのものが実践であり勉強だったので、自分が実現したい方向に少しずつ向かえればいいな、くらいの気持ちでした。
それで、うらほろスタイルのコーディネーターになりたいって本間さんに伝えたら、「じゃあ協力隊として入っといで」と言っていただいて、協力隊への道が決まりました。
―― 続いて、任期中の具体的な活動について詳しく教えて下さい。
僕はうらほろスタイルのコーディネーターとして、上浦幌地区の学校を担当していました。
先生たちから「こういう授業をやりたい」って相談を受けて、「それならこういう人がいますよ」「こういう場所セッティングしますよ」と提案をする。地域と学校を繋ぐ役割を担っていました。
2年目からは、先生からの相談が「こういう授業をしたい」だけじゃなく、「子どもたちにこういう体験をさせたいんだけど、どういう授業を組もうか」みたいな一歩踏み込んだ内容に変わっていきました。僕から「こんなのやってみませんか」と提案して、実際に授業に取り入れてもらったこともあります。
ちょうど今年(2026年)から上浦幌の学校が小中一貫の義務教育学校になったんですよね。なので、協力隊3年目だった昨年は、その準備にも関わらせてもらいました。学校の統合にあたって「ふるさと学習」を一からから見直すことになり、先生たちと一緒に総合の授業を作り直すところも経験できたのは大きかったですね。

―― 当時の日常の業務はどんなスケジュールでしたか?
「学習指導員」という役割をいただいて、学校に入っていました。
僕が着任する前までは、コーディネーターって打ち合わせがある時だけ学校に行くスタイルだったんです。でも、ちょうど僕が入った年から「学校にコーディネーターを常駐させる」という試行実施が始まったタイミングだったので、僕は週4日学校に勤務していました。
授業中は子どもたちの様子を見ながら後ろからサポートして、休み時間は一緒に遊んで、放課後は先生たちと打ち合わせしてって感じでした。
――学校で勤務していたからこそ、できたことや感じたことはありますか?
毎日子どもたちと過ごせたのがなにより一番楽しかったです。
子どもたちと多くの時間を一緒に過ごしていると、一人一人の個性が分かってくるんですよね。そうすると、先生と授業の相談をする時も「この子にはこういうところがあるから、これはどうでしょうか」というように、子どもたちに合わせた具体的な提案ができるようになりました。
―― 逆に、ちょっと苦労したことはありますか?
コーディネーターって、現場で実現したいことに対して「どうすればできるか」っていう具体的な方法を見つけてくるのが仕事なんですよね。
たとえば「厚内で釣りの経験をさせたい」ってなった時、ただ漁師さんに「釣りをさせてください」と頼むだけではなく、「どの漁師さんに頼むのがいいかな」とか「この子にはどういう人が合うかな」とかまで考えるのがすごく難しいなと感じていました。

―― それって地域のことも子どもたちのことも、両方を深く知らないとできないお仕事ですよね。地域との関わりはどうでしたか?
僕が着任した当時、すでに先輩の協力隊が上浦幌にいたので、地域の中に「協力隊」という存在が浸透していたのはとてもありがたかったなと思います。
着任してすぐの頃、自己紹介チラシを作って、上浦幌地区の全戸を一戸ずつ回って「協力隊に着任しました犬養です!」って挨拶したのを覚えています。 そうやって地道に覚えてもらいました。
当時は住まいも上浦幌だったんです。それもあって、地域の人から「仕事の人」としてではなく「上浦幌に住んでいる人」って思ってもらえたのがすごく嬉しかったですね。温かく受け入れてもらった感覚がありました。
仕事としての関わりももちろんあるんですけど、たとえば車を運転している時に、前を走るトラクターの農家さんに一言挨拶したり、用事はないけどドライブがてら農家さんのところに遊びに行って「ご飯食べていきな」って声をかけてもらったり。そういう温かさを感じる瞬間がたくさんありましたね。
市街地の方は先輩の協力隊に繋いでいただくことが多かったです。あとは、僕、お酒飲むのがけっこう好きなので、友達と飲みに出た時に同じお店にいた方と話したり。知り合った方がまた別の人を紹介してくれたり……ってしているうちに気づいたら繋がりが増えてました。
―― 同世代の友達もすぐできましたか?
町内を回っている時、蕎麦屋「かし和家」の店長が自同い年だってことがたまたま分かったんです。そこから、「実は同い年けっこういっぱいいるんだよ」という話になって。農協とか森林組合とか浦幌出身の同級生とか、いろんな人に声をかけて「同い年いっぱい集めて飲み会やろう!」って盛り上がりました。集まっているうちに自然とみんな友達になっていきましたね。だから、友達作りにはあんまり困らなかったかもしれないです(笑)。

―― この春に協力隊を卒業されて、現在はなにをされているんですか?
今は、上浦幌の義務教育学校で総合の専科教員をしています。
――晴れて、犬養さんのやりたかったことが実現したんですね!それはどういう経緯で決まったんですか?
協力隊卒業後どうするか迷っている中で、コーディネーターとして関わるのもいいけれど、「自分が教壇に立って授業をやってみたいな」という気持ちが徐々に芽生えていたんですよね。
ちょうどそのタイミングで、教育長から「町費負担教員(町が独自に採用する先生の制度)として、上浦幌の学校でふるさと学習を担当しませんか」と打診をいただいて。 「それはもう、是非やりたいです!」って即答しました。
―― 教育長から直接のお声がけだったんですね。
今の教育長はもともと「十勝うらほろ樂舎」(https://tsutsuuraura.jp/worker/archive/627/)で働いていた方なんです。僕自身、一緒に仕事をしてたいたこともあったので、お互い肩肘張らずに話せるような関係性ではありました。僕が冗談半分で「協力隊卒業後も上浦幌の学校に残りたいです」って、ちょくちょく話していたのを覚えてくれていたのかもしれません。
―― コーディネーターから先生の立場になって、変わったことはありますか?
コーディネーターの時は計画を立てるまでが役割で、実際の授業は担任の先生にお任せしていました。でも、それをいざ自分がやるってなると、もっと子どもたちのことを知らなきゃいけないし、伝えるための方法とか技術も勉強不足だなと痛感していますね。
「こうなればいいな」って想定して計画を立てても、現場では思い通りにいかないことばかりで。単に「これをやります」ってだけで子どもたちがついてくるかっていうとそうではないので、どうすればモチベーションを上げられるかなとか、どうやったら理解しやすいかなとかまで考えるのは難しいところだなと思っています。

―― ちなみに、現在のコーディネーターは別の方が担当されているんですか?
今は本間さんが上浦幌のコーディネーターをやってくださっていて、僕は学校側として連携しています。うらほろスタイルのチームは、協力隊の時に自分が所属していた場所っていうのもあって、相談しやすい環境なんですよね。
―― 協力隊での活動を振り返ってみて、今思うことはなんですか?
浦幌に来て良かったなって。
これまでも将来のことを計画的に決めてきたわけじゃなくて。その時々に「あ、これだ」って思ったものとか縁とかをたどって選択をしてきたので、それが正しい選択だったかどうかは分からないですけど、浦幌に来て良かったなとすごく思います。
―― 犬養さんが思う、浦幌の好きなところってどんなところですか?
「できるかも」って思わせてくれる雰囲気がある。理由なく、なんでも挑戦できそうって思える空気感があるのと、かっこいい大人がいっぱいいるところが好きですね。
なにかやろうと思った時に、周りが「いいじゃん!やろうよ!」って背中を押してくれる環境。それが浦幌のパワーなのかなって個人的には思います。
―― 最後に、犬養さんの今後の展望がもしあったら聞いてみたいです。
ゆくゆくは、自分が生まれ育った場所(白糠町)で、今やっている「ふるさと学習」みたいな教育を通して子どもたちのために働けたらなと思ってはいます。
でも、今はそれ以上に浦幌の居心地が良すぎるので(笑)。まずは浦幌でやりたいことをたくさん形にしていきたいです。